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あなたはもう、パニック障害に苦しむ必要なんてありません。 |
パニック障害を改善しストレスのない幸せな人生を送りたいあなたへ・・・ こんにちは。パニック障害改善プログラムコーチの山田直樹と申します。
突然ですがあなたは今、
どうぞこの先を読み進めてみてください。 重度のパニック障害だった私自身が、たった3つのステップを普段の生活に取り入れ、 わずか35日でパニック障害を改善したプログラムの全てをあなたにお伝えしてまいります。 多分“パニック障害”に悩んでいるあなたは、今までに精一杯改善しようと試みてきたと思います。 私自身も昔はあなたと全く同じ状況だったのでこのことは胸が痛むほど本当によく解るのです。 ですがもしここに、 たった3つのステップを自宅で自分ひとりで行い、わずか35日で大幅に改善した パニック障害を改善するプログラムがあるとしたら、あなたも試してみたいと思いませんか? それも 重度のパニック障害だった私自身が実際に「奇跡的回復だ」と言われるほどまでに改善し、 現在パニック障害で悩む多くの方へのカウンセリングや講演を行い、 「何をしても治らない・・」とあきらめかけていた人ですら改善させてきたとしたら、 あなたも試してみたいと思いませんか? 今からこの手紙を通して、あなたに私の人生を救ったパニック障害改善プログラムのすべてを お話させていただきます。 「パニック障害」と診断されていない場合でも、先ほどのような症状があなたに出ているのであれば、是非この続きを読んでみてください。 私の人生を救ってくれたこのパニック障害改善プログラムが、 パニック障害に悩む一人でも多くの方に活用していただき、 幸せな人生を歩み始めてくれれば、私にとってそれ以上の幸せはありません。 早速、あなたにパニック障害改善プログラムのお話をしていきたいのですがその話をする前に、 まずは私がパニック障害を改善するまでに至った経緯を少しだけあなたにお話させていただければと思います。
それは重度のパニック障害で悩まされ続けていた私の苦悩の時代が、 「辛かったか」「辛くなかったか」と聞かれれば、やはり「辛かった」としか 言えない鮮明な記憶がいまも脳裏に焼きついているからです。 その記憶を思い出すということ自体が私自身を、辛く切ない気持ちにさせてしまうため、 本来なら二度と思い出したくはなかったのですが、私の辛い過去をあなたにお話することで、 過去の私と同じ体験をしている現在のあなたや、家族の方へ、 少しでも勇気付けられればと思い、今回辛い気持ちを我慢して書く決心をしました。 それでは、お話させていただきます。
私は昭和40年、大阪のごく普通の一般的な家庭の長男坊として生まれてきました。 父と母、それに兄弟は弟が一人の4人家族で、 小さな頃は活発を絵に書いたような子供でした。 母には「ホンマあんたは鉄砲玉やねー」とよく呆れられていたものでした。 近所の子供とケンカをしても負けることがなかったので、 いつも母が相手の家へ謝りにいくことなどしょちゅうで、 よく母には怒られていたものです。 仕事真面目な父と、料理上手な優しい母。 やんちゃだった子供時代には気づきませんでしたが両親からのたくさんの愛情で見守ってくれていたことをいまでも感謝しています。 両親が丈夫な身体に産んでくれたおかげか、小さい頃から運動神経の良さには恵まれていました。
その生まれ持った運動神経の良さを、更に磨きをかけるように、小学校、中学校は剣道に打ち込み心身共に鍛え、 高校に入ってからはバスケットに熱中し、 一年生の頃からレギュラーを勝ち取るなど スポーツへ情熱を注いでいました。 未だに初対面でお会いする方から「体格がいいですね」と感心されるのも、 この学生時代からスポーツに打ち込んできたおかげだと思っています。 高校卒業後は体育学校へと進み、 卒業後の就職は有名ホテルの会員制フィットネスクラブのインストラクターに 決まりました。 これがホテルマンとしての第一歩でした。 インストラクターで接客のよさを認められた私は、その後レストラン部門、 婚礼担当とホテルを移りながらキャリアを積んでいきました。 そんな中での結婚。 まさに仕事もプライベートも順風満帆でした。
結婚した当初、私は自分の実家の近くに新居を構えていましたが、3年後には住まいを大阪市から神戸市へと転居しました。 理由は結婚した家内の実家が神戸市だったことと、新築で完成する県営住宅の抽選を、何十倍という倍率を突破して当選したからです。
真新しい綺麗な新築の住まいでした。引越した当日、海や山が近くに見えるベランダで、 私は子供のようにウキウキした気持ちになったのを覚えています。 その時は本当に仕事も順調でした。 そして守るべき家族が出来ました。 さらにマイホームではないにせよ素敵な新しい城を持つことができました。 そう。 まさに私の人生は順風満帆、文句のつけどころの無い人生を歩んでいました。 そんな私の人生に、突如「悪夢」が押し寄せてくるなんて、その時は本当に夢にも思いませんでした。 私のその新居があった場所の名は、その後日本中にその名を広く知られることになるからです。 兵庫県 神戸市。 1995年1月17日。阪神淡路大震災の被災地になる場所だからです。
阪神・淡路大震災。ご存知の通り、1995年1月17日の早朝、5時46分に起こった 最大震度7、死者6,433名にも及ぶ大地震です。 震災前日の夜、私は仕事を終え会社の同僚と共に阪急三宮駅ガード下のお寿司屋さんで軽くお酒を飲んで 帰路に着こうとしていました。 底冷えのする寒い夜で、真っ赤な満月が、妖しいくらい美しい光を放ちながら凍てつくような冬の空に 浮かんでいたのを覚えています。 「真っ赤な満月なんて珍しいよな」そう同僚と会話するほどの印象的な月でした。 後に私はパニック障害と一緒に、PTSDも発症したので、震災後の数年間は、 満月を見ると「また地震が来るのでは…」との不安から怖くて夜も眠ることが出来なくなりました。 家に帰り就寝の準備をした後、ベッドに入りました。 そして、1月17日早朝、あの最悪の大地震が突如襲ってきたのです。 一瞬体が宙に浮いた感じになり私はあまりの驚きで一瞬にして目が覚めました。 私は普段から眠りは深い方で、その前日にはお酒も飲んでいたので、なおさら眠りは深かったはずなのですが、本当に一瞬で目が覚めました。 「地震か!?」と思うや否や、「ドーーーーン」という、まるで自分の真後ろで雷でも落ちたか、 ジェット機が音速を超えて突っ走っていったような、空気がビリビリと振動するくらい激しい爆音と共に、 夜明け前の真っ暗な部屋の中を家具や冷蔵庫が吹っ飛んでいました。
「これは地震じゃなくガス爆発か、小型飛行機が墜落して突っ込んできたんだ」 そう思いました。 それほどまで、地震とは思えないほど強烈な衝撃だったのです。 正直、このときのことを詳細に話そうと思っても、ところどころ記憶がないのです。 だから、どうやって自分が抜け出し、妻と子供を助け出したのかをはっきりとは覚えていないのです。 今、断片的に覚えていることと言えば、床はガラスと食器の破片だらけだったということ。 まるでジュースのアルミ缶を縦に踏み潰したように、玄関の扉の幅が“半分”になっていたということ。 腕力に自信があった私でしたが、玄関は押しても引いても、まるっきりビクともしなかったということ。 そして、心底、夢であってほしいと思ったこと…。 住宅近くのグランドへ避難しようと外へ出ると、いつもと違う景色が広がっていました。 六甲山がまるで違って見えたのです。 なぜなら私の住宅前に建っていた文化住宅3棟がぺしゃんこになり、視界から消えていたからです。 後にわかったのですが、この文化住宅に住んでおられた多くの方がお亡くなりになられました。 そのとき初めて理解出来ました。この衝撃が地震によるものだということ。 そして、目の前に広がる光景は夢じゃなく全てが悲しいほどの現実だということを。
入居していた建物自体が全壊になってしまった為です。 仮設住宅に入居するまでしばらくかかっていた方もいらっしゃったことを考えれば 実家に戻れるだけでも幸せでした。 そして震災からちょうど一ヵ月後の2月17日の朝、 私はいままで経験したことのない息苦しさで目が覚めました。 起き上がろうとすると体が鉛のように重い。 「なんだ?」 今まで経験したことのないような違和感を覚えながら「そうか…二日酔いか…」そう思い、 洗面所で顔を洗い、水を飲んでみました。 「苦しい…」息苦しさは治まるどころか、更に強くなるばかり。 空気を吸おうと思っても、吸っても吸っても体に酸素が入ってこない。 そう、呼吸が出来なくなっていたのです。そのとき「死」という文字が頭に浮かびました。 動悸は激しくなり、身体の力は抜けて立てなくなり、自分が過呼吸をしていることに気づきビニール袋を口にあてましたが、自分自身が全く落ち着きを取り戻していないので事態は一向に回復しませんでした。 何事かと駆けつけた母が手を握ってくれました。手を握ってくれたおかげで少し落ち着きを取り戻しましたが、 まだ苦しい状況は続いていました。 このときのことを母に聞くと、私の手は死人のように冷たいものだったそうです。 すぐに私は入院となりました。 入院した当日に様々な検査をしましたが、結果はどれも「異常なし」。 むしろ検査結果の数値だけみれば、あまりに健康体で病院に入院していることが「異常あり」だとも 言われるくらいでした。 当時、仕事がかなり忙しく、被災したにも関わらず満足に休むこともなく仕事をしていたこともあり、 その疲れが出たのだろうとお医者さんも話していて実際に私もそうなのだと思っていました。 様子見という意味もあり、病院で一週間の入院をしたあとに退院、実家へ戻る地下鉄の中でほっと安心し 「これで、このことは終わったんだ…」と安心したことを覚えています。 しかし、 実際にはこれが私の本当の戦いの始まりだったのです・・・
そして、月曜の朝、目が覚めた私に訪れたのは、一週間前と同じ感覚でした。 「あれっ?」と思っているそばから心臓の動悸が激しくなり、また息が出来なくなっていました。 「また?死ぬ、今度こそ死ぬ…」そう思いました。 30分ほどで発作が治まり、今度は入院したのとは違う別の病院へ行って検査をしてもらいました。 結果は・・・、 「異常なし」 「は?異常なし?こんな死にそうになってるのに?俺の身体はいったいどないなってしもたんや!」 私はそんな言葉を思わず言ってしまいました。 この日から約5年間、私は暗闇のなかで苦しみ続けることになりました。 病院を転々としてようやくわかった私の病名、それはパニックディスオーダー(panic disorder)、 その後、パニック障害という病名で広く知られる病気です。 それにPTSDも併発していました。震災によるストレスが原因だそうです。 病院から様子をみるようにと、軽い精神安定剤をもらいました。 もともと薬を飲むのが嫌いで飲みすぎ食べすぎのときに胃腸薬を飲むくらいだった私は、 病院から処方してもらった薬も飲んだのは最初だけで、あとは飲まずになんとかしようと思いました。 しかし、状況はそう簡単にいきそうにもありませんでした。 神戸の家へは震災以来、中には入れずにいました。 それどころか取り壊すことになるのか、どうするのか何も決まっていない不安定な状態でした。 「このままずっと実家に住むわけにもいかないしな…」悩みは尽きませんでした。 でもそんな状態であれ仕事はしなければいけません。 仮住まいの実家から会社通いが始まりました。 仕事へ行くと意外な形で震災の弊害がありました。 それは震災にあった人間と遭わなかった人間との意識の違いでした。 震災にあった人間にとって震災はその後の復旧過程も含めて災害ですが、 震災にあっていない人間にとっては2ヶ月もすれば震災はもう過去のことなのです。 職場で被災者同士で震災の話をしようものなら、「また地震の話をしているのか」と冷たい眼。 そんなストレスがたまっていたのか、ある日、会社でまた“あの感覚”が襲ってきました。 激しい動悸と息苦しさ…。 その頃から発作の頻度が多くなっていきました。 発作が起きるとどうなるのか自分では分からないために、トイレやお風呂など一人でいる状態だと とても危なく、できるだけ早く出るようにしていました。 地震が起きた瞬間に天井や家具に埋もれた衝撃を身体が思いだすと、夜、布団をかぶってることが苦しくて不眠症になったり、 震災後に初めて行った散髪でも散髪が始まって15分もしないうちに発作がはじまり、 途中まで刈っているおかしげな髪形で家に帰ることもありました。 夜にお酒を飲めば決まって翌朝には発作が起きるという悪循環をわかっていながら、 お酒を飲んでる時間だけが私にとって逃避できる時間で、次第にお酒を飲む量も増えていきました。 以前より歯の治療をしなければと思っていた矢先に地震が起き、 あまりの痛さに勇気を振り絞って歯医者に行ったのですが、待合室で別の患者さんが治療をしている光景と、 あの歯を削ってる音を聞いてるうちに激しい動悸と過呼吸が始まったので、 逃げるように病院を飛び出してしまったこともあります。 そして何よりも 事あるごとにテレビに映し出される地震の映像をみては、 その時、その瞬間の恐怖を思い出し、激しい動悸と息苦しさ、地震酔いに襲われていました。 そこには、子供のころからリーダー的な存在で頼れる男だと言われた自分はもういませんでした。 このままこれが一生続くのかと思ったら、先々の楽しみなどなにもなくなっていました。
部屋の中はいたるところだらけが補修されていて、つぎはぎだらけになっていました。 夜、眠りにつくと、建物の横を大きなトラックが走る振動で震災当日の恐怖が蘇り、 また発作が起きてしまうという繰り返しでした。 仮住まいしているときに発作を起こし、その際家内に「もっとしっかりしてほしい」「たよりない」と言われたことが 頭にあった私は発作が起きると「胃が痛い」と言って家族にも気づかれないように発作を誤魔化していました。 仕事の最中にお客様との打ち合わせをしているときにも発作が起きそうになり、 冷や汗をダラダラ流すこともしょっちゅうだったのです。 そんな毎日いつ訪れるか分からない「発作」の恐怖につきまとわれながら日々を過ごし、 震災から2年後、私は離婚することになったのです。 今思うと、地震に被災しパニック障害を発症していなければ離婚していなかったかもしれません。 どれもこれも運命と考えるしかありませんでした。 しかし運命と考えたところで、毎日のようにいろんな場面で起こる発作の恐怖からは 逃げる事も出来ませんし、こんなに苦しい症状がある日いきなり無くなるなどということは 万に一つもないだろうと確信し始めました。 お酒の量は激しく増え、逃避の時間になるどころか、酔うと自分を責め続けて何もかもがボロボロになり、 地震で生き残ったことを悔やむことすらありました。 そんな私の苦しみは限界に近づいていました。
営業部へ配属になり、程なくして私は母校である体育の専門学校へと顔を出しました。 たまたま近くを通っただけなのですが、仲良くさせてもらっていた講師の先生が震災のことで心配して 電話をくれていたことを思い出し「そういえば…ご挨拶がまだだったな…」と思い挨拶へ伺ったのでした。 先生を伺うと、たまたま先生のところに訪れていたお知り合いのお医者さんが私の話を一緒に聞いていて、 私にあるアドバイスをしてくれたのです。 それはアドバイスというより、むしろ現実を突きつけられ、 改善へのひと筋の光さえなくしてしまうんではないかと思うくらいものでした。 「偶然」と言えばそれで終わってしまう話ですが、私はこの出会いは「偶然」と呼ぶのには あまりにも不思議な出会いだと今でも思っています。 そのお医者さんが言った話とは、「パニック障害はどこの病院に行っても、どんな薬を飲んでも治らない」 そして、 「治った人ですら、その原因が自分でもわからない。」と。 これらのお話しを聞いて私はいてもたってもいられなくなりました。
震災後すぐに申し込んでいた仮設住宅で一人で暮らそうかと考えていました。 でも仮設住宅から会社へ通うことを思うと、駅までがすごく遠く、お風呂の問題もあったり、 なによりもここで一人で寝るという恐怖からくる、発作の不安がそれにブレーキをかけていました。 そんな時、人から頼まれたことがきっかけで 仕事が休みの日はこの仮設住宅に住む人たちの手伝いをしに行くようになっていました。 手伝いの合間にいろんな話をしたり、一緒に作業をしたりするうち、 そこで生活する人たちの中には私と同じように 地震のショックからPTSDやパニック発作に苦しむ方が多くいらっしゃっることがわかりました。 そして私は、母校で会ったお医者さんの話を聞いた時、 その中の数名の方が最近になってずいぶん元気になられているのを思い出したのです。 以前にその方たちから「治り始めてるんです」という話を聞いた時、正直、うらやましいと思ったその一方で、 「病院へも行かず、薬も飲まず、どうして治ったのだろう?」と、ずっとそのことが頭から離れなかったのです。 仕事中であることも関係なしに私は、母校を後にし電車に飛び乗り自宅へと急ぎました。 「絶対にそうだ、治る人は自分で気づいてないだけで、絶対に理由があるんだ!」 私は電車の中で呪文のようにつぶやいていました。 そして自宅へ戻ると出張用のキャリーバックに荷物を詰め、ピンク色のキーホルダーがついた鍵を握りしめ、 仮設住宅へ向かいました。 それから二週間後、仮設住宅を後にした私の身体は別人のようになっていました。 「治る人は自分で気づいてないのではなく、きちんと治す習慣を知っていたのです。」 病院にも行かず、薬も一切使わず、 私の症状も35日目には完全とも思える回復を感じれるようになったのです。 その体験から、私はある“確信”を持つことができました。
通院しなければならず、なかなか治らないというイメージが強いと思います。 しかし、よく考えてみてください。 多くのパニック障害で悩む方が高額な治療費を支払わねばならなかったり、 効果が出るかどうかもわからない根気のいる療法を続け、治らずに苦しんでいるのです。 私はそのことが残念で仕方ないのです。 もしかしたら“その方法”自体が間違っているということを疑いすらしていないのかもしれません。 私のプログラムは 「自宅で簡単にできる」「自分ひとりでできる」「35日で改善できる」「高額なお金なんて必要ない」 という、一般のイメージとはまったく逆の方法なのです。 そしてどちらが効果があるのかと言えば、私の経験結果やこの方法を実際に実践した方達の結果から言えば、 明らかに後者の私のプログラムを実践した方が効果が高いのです。 その証拠として、すでにこのプログラムを実践し、「パニック障害が改善された」という方々から 山のようにうれしい声が届けられています。 ここでは以前、東京国際フォーラムで行われた講演に参加されました方々からの メッセージの一部をご紹介させていただければと思います。
この方法は非常に簡単なので、中学生でもご年配の方でも出来るようなプログラムになっています。 簡単なので、トレーニングを実施するストレスなんかもまったく感じずに 続けられると思います。 好きなときに、好きな場所で、人知れずこっそりと行なうことだってできます。 私は以前、闘病中に複雑に書かれたパニック障害の改善本らしきものを書店で購入しました。 かなり分厚く、難しい言葉が散りばめられていたので、それを読むこと自体がまずは大変でした。 読むのに時間がかかり、さらに読み終わった後には何も覚えていない。 「こんな難しい本、一体誰が読むのだろう・・・」 と、疑問に思ったことを今でも覚えています。 私は今回あなたに伝えたいことは、「3つのステップ」を生活の習慣に取り入れるだけの「パニック障害改善トレーニング方法」です。 その習慣をより効果的に、よりストレス無く実践していただくというのが私の本来の目的です。 そのため私のマニュアルは、伝えたいことをストレートに、そしてよりシンプルに書かれています。 専門家が使うような難しい言葉、法則などは私のマニュアルには一切存在しません。 むしろ、そんなものが含まれていたのなら、私のパニック障害は改善しているはずがありません。 実際に既にパニック障害改善プログラムを実践し、パニック障害が改善された方も、 はじめはシンプルすぎて本当に治るのか正直不安だったと言います。 ですが、 私自身が改善され、そしてパニック障害の改善者からの喜びの声が後を絶たないのです。 その内容の一部をご紹介させて頂きますと… 薬を使わずに克服した私のパニック障害改善法とは…?
薬を飲むことは症状を軽減させるための有効な手段ですが、
根本的治療ではありません。 しかしながらこの改善プログラムを手にとっていただくあなたは、 薬を定期的に飲まれている方かもしれません。 ですがこのプログラムはそのような方も薬との併用で簡単なワークを続けられ、 主治医との相談で減薬、断薬に成功された方が多くいらっしゃいます。 その理由は、薬が瞬時に効果を発揮させるために脳や身体へ与える刺激とは真逆の方向から 同じように脳や身体が反応する刺激を簡単なワークによって無理なく与えるからなのです。 なぜ自宅のイスなら大丈夫なのに、歯医者の診察台に座ると発作が起きるのか?
その根底を理解するには方法が必要です。
歯医者や美容室に行けるようになるその方法とは…? 歯医者や美容室のイスに座ると恐怖や不安で 過呼吸や動悸などを起こす方が多くおられます。 一般に「予期不安」や「広場恐怖」といわれるものですが、 このような専門用語でまとめれるほどその症状は単純ではありません。 不安や恐怖を自分に合ったひも解き方で理解し、自信を植え付けていく簡単なワークです。 脳を十分リラックスさせ、生きる活力を目いっぱい与える具体的方法とは…?
パニック障害は脳の病気だといわれていますが、
その他にも、残念ながらその原因はほとんど解明されていません。 しかし発作を引き起こすのは明らかに脳が間違った情報処理をしているのです。 それを正しい回路に戻すには、 まず脳をリラックスさせて違う刺激を覚えさせるのです。 一回数分の簡単なワークを毎日続ける事で、徐々に正しい方向へと向かいます。 自然と改善する方向へと進んでいく“身体を整える”簡単なワーク
脳と身体を同時にリラックスさせる、過呼吸改善への簡単なワーク
目に見えない効果を感じるための、簡単なワーク
薬を止めるための手段として使える、簡単なワーク
3分あれば心も体も十分リラックスできる、簡単なワーク
「運動すると動悸が…」という方でも全く心配なし!
克服できる簡単なワーク 「予期不安」と「広場恐怖」を攻略する為の勇気をつける、簡単なワーク
活き活きとした自分を生みだすセロトニン神経を活性化する、
簡単なワーク 実際のプログラムには他にも多くの内容がびっしりと詰まっています。 プログラムについてのご質問、今現在の不安や心配に思われることがございましたら
このプログラムは、このような冊子としてあなたのお手元にお届けさせていただきます。 (品名の部分には「書籍」と記載してお送りさせて頂きますので、外見からはパニック障害関係の書籍とはわからないように配慮しております。)
実際にその年月の中で私自身、様々な方法を実践してきました。 もちろんその都度、多額なお金も投資してきました。 その中で気づいたことが2つあります。 1つは、パニック障害者ではないけれどパニック障害の改善方法を研究しているという人よりも、 実際にパニック障害者自身が、様々な方法を試した結果、 克服したという人からアドバイスをもらった方が効果は圧倒的に高いということです。 やはりパニック障害ではない人にとってはパニック障害に悩む方の気持ちはわからないと思うのです。 パニック障害はどれほど辛いのか、どれほど自分自身の人生に影響を与えてきたのか、 これは実際に自分自身がパニック障害になって初めて解る事だと私は思うのです。 だから、 実際に過去にパニック障害だった人からアドバイスをもらうことが、 どれほどパニック障害者にとって勇気をもらえるかは、計り知れないものがあると私は確信しています。 「パニック障害の方の本当に辛い気持ち」を心から理解してくれることで、その気持ちもプラスとなり、 パニック障害の克服に大きな影響を与えているものと私は思います。 そしてようやく今、自信を持ってあなたにお薦めする事ができるようになりました。 価格は配送版の場合12,000円(送料・製本代の2,200円込)です。 ダウンロード版の場合は、商品代金の9,800円となります。 このプログラムを12,000円で購入してしまった後には今後一切お金はかかりません。 病院やカウンセリングとは違い、毎回お金を支払う必要はまったくありません。 あなたにもいち早くこのプログラムを実践していただき、パニック障害を改善し、 ストレスの無い幸せな人生を歩んでもらいたいと心から願っています。 パニック障害改善プログラムはこちらから簡単にご購入いただけますので、どうぞ今すぐ活用し、 恐怖とストレスのない幸せな人生を手に入れてくださいね。 さらに私を信じてご購入してくれるあなたには・・・ 私が直接あなたの悩みにお答えする、
ご購入日より30日間、回数無制限のメール相談です。
そして今回あなたには全額返金保障を付けることにしました。 これは私にとって正直リスクが大きくかかることですが、あなたの真剣な気持ちをどうしても優先したいという 気持ちが勝りましたので、今回このような保証をさせていただくことにしました。
是非このパニック障害改善プログラムを使い、今すぐパニック障害を改善し、幸せな人生を歩んでください。 パニック障害改善プログラムはこちらから簡単にご購入いただけますので、どうぞ今すぐ手に入れてくださいね。
色々な方と楽しく会話が出来る、そんな自分を想像してみてください。 どのような笑顔があなたからこぼれていますか? 笑顔で食卓を囲んでいますか? 友達と笑顔でショッピングを楽しんでいますか? 清らかな汗を流しながら、活気ある毎日を過ごしていますか? 間違いなくあなたは自信を持って人生を満喫していることと思います。 笑顔の絶えない毎日を過ごしていることと思います。 そんなあなたを想像しただけでも、私はうれしくて仕方がありません。 あなたの人生の幸せに少しでもお手伝いが出来て、本当にうれしいです。 あなたに伝えたいことがありすぎて長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれて本当にありがとうございました。 どこか不思議なご縁であなたと直接お会いできることを今からとても楽しみにしております。
うれしい声が本当にたくさん寄せられます。 ここでは私の、『絶対に治るぜ!パニック障害改善アドバイザー 山田直樹のブログ』の メッセージ欄にいただいています「広場恐怖」や「予期不安」といわれる 歯医者や美容室、狭い車内での恐怖を少しづつ改善されてる方々の声を集めました。 この声を励みに、これからも頑張っていきたいと思います。
プログラムについてのご質問、今現在の不安や心配に思われることがございましたら
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